Cafe 568 : 五郎八が思ったこと、感じたことを綴る 地熱住宅・五郎八の家
無の無は有ではなく「摩訶的実存無」である


無は無であって有ではない。
しかし無いことが有ることは、無が存在することで、「無」を超越した「存在無」がある。
これを私の造語で「摩訶的実存無」と25歳のときに名づけた(1975年3月『ニュー兵庫』に記載)。

人は時によく「存在感がある」などと言葉を使用するが、この「存在」とは何だろう。
私はありえないことが今ここにあることが存在だと思う。
つまり、「今生きている」とはどのような意味があるのか。

どのような生き物でも突然に一人では生まれないので、自分の両親が必ずいる。
その親にも必ず両親が居るので、この理論で考えると、人が人になる前までさかのぼる。
それでは人間が進化する以前に生命が繋がっていくので、
自分と言う単位数がこの世に今いることは、分母に無量大数、つまり無限大がある。
この計算の答えは一見するとゼロだが、決してなくなりはしないゼロであるので、
「存在するゼロ」になる。

これが私の言うところの存在、つまり「摩訶的実存無」なのである。
ありえないことが今ここにあるつまり「存在」なのである。

自分にとって有意義なことや得になることがあると、ご先祖さんに「感謝」をするのが普通だが、
ところが自分にとって不利益や理不尽なことがあっても「感謝」をしないといけない。
何故なら、この世に存在しているから、嫌なことも感じ取れるのである。
もしこの世に存在していなければ、何も感じ取ることができない。
今を感じることが凄いことなのである。

ちなみに私の実弟は、これを感じることがもうできないのである。
何故なら、この世を既に他界して12年にもなってしまった。


エコロジー建築家 矢上五郎八

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