Cafe 568 : 五郎八が思ったこと、感じたことを綴る 地熱住宅・五郎八の家
退院したくない病院


「住めば都」というが本当だった。
入社して3日目に現場で排水溝に落ち、右膝を強打してしまった。
このことは既に「先生の教えを守って」でも記したが、片足で跳びはねながら現場事務所の2階へ上がり、
上司に状況説明をしたら、すぐに車で小野市民病院へ運び込まれ、
担当医外科部長の検診は、全治1ヶ月であると診断され、そのまま入院してしまった。
九州の田舎から阪神間へ来て環境が変わり、さらに入院生活で大きく生活環境が変わったのである。

緊急入院した翌朝、主任看護婦さんが私の入院している部屋に確認に来られたが、
当時のことを今でも鮮明に記憶している。
と言うのも、主任看護婦さんが私の顔をいぶかしげに見ているではないか。

理由はこうだった。
昨日入院した患者の引継ぎを早朝よりナースステーションにて行うのだが、
入院患者の名簿に「矢上五郎八」とあったので、その主任看護婦さんはわたしの名前だけを見て、
てっきり高齢者だと思い込んだらしい。

「お爺さんかと思ったら、くりくり坊主頭の若い人ではないの!」
私は18歳で社会人になったので、坊主頭のまま就職をして3日目だったので、まだまだ子供であった。
入院に必要なパジャマや寝巻き・洗面具等はもちろんなし。
そこへ事情を察した主任看護婦さんが、自宅からご主人のパジャマを持って来て、
「これを使いなさい」とやさしく手渡してくれたのである。

それから外科病棟の主任看護婦のTさんは、入院患者さんから「鬼のT」と呼ばれており、
とてもはっきりとして厳しい方だった。
さらに婦長さんは、鹿児島県の加世田市のご出身で、なぜか小野市の市民病医院に勤務されており、
しかも実のお母さんが個室に入院されていた。

鬼のT主任も加世田市のご出身で、婦長さんの後輩だったので、
強力な九州鹿児島出身の二枚看板がチームを組んで、地元の看護婦さん達をまとめていたのである。

そんな中において、熊本出身の私には同じ九州と言うことで、格別に優しくしていただいたのである。
入院患者の中で、私だけが婦長さんのお母さんが入っておられる個室部屋の入室を許されていたり、
鹿児島の銘菓を頂いたり、おしゃべりをしたり時には鬼のTさんと三人と個室で話したり、
今では考えられない入院生活を送っていたのである。

当然ながら、会社関係の人達よりも入院されている人達との方が顔見知りになってしまうのである。
午後から一般の外来患者何が来なくなった待合室にて、
入院患者のWさんとギターを抱えてデュエットしていたのである。
当時、流行っていた簡単なコード進行のフォークソングが中心であった。

外泊することを除いては、食事付でいつでも昼寝ができ、しかも仕事をしなくていいし、
誰からも命令されないなど、実に快適な入院生活なのである。

このようにある種恵まれた環境の中での生活には満足しており、退院をしたくなくなってしまったのである。
この退院後の顛末騒動記があるが別項目にて記すことにする。


エコロジー建築家 矢上五郎八
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