Cafe 568 : 五郎八が思ったこと、感じたことを綴る 地熱住宅・五郎八の家



むかし、田舎での遊びといえば、山や川に行くことや、子供同士で相撲をとることが主流であった。
当時の相撲は、今とは比較にならないぐらい人気があった。
特に同県出身力士ともなれば格別である。
今のサッカーや高校野球並である。

特に私が育った熊本県出身の力士「栃乃花」は、村の子供たちに人気があった。
それ以外に、若乃花、栃錦、朝潮、若三杉、琴ヶ浜、松登、若秩父、岩風、明武谷など、
大相撲のラジオ放送をよく聞いていたものだ。

その頃、少しずつテレビが田舎町でも出回るようになり、
私達悪ガキ仲間で街へ相撲中継をテレビで見てみようと、
約6キロの道のりを1時間半も徒歩でいったのである。
人吉市の商店街にある電気屋さんの店頭に街頭テレビあり、すでに黒山の人だかりができていた。
子供の私達悪ガキは、大人の人垣の足元の間を潜り抜け、
運良く一番前列でテレビ相撲観戦することができたのだった。
当然、白黒テレビであったが、千秋楽の優勝決定がかかった
栃錦と若乃花の全勝同士の取り組みであったので、
とても興奮をしたことを記憶している。

その帰り道々、誰からともなく汽車が過ぎ去った跡の線路の音を聞こうという声があがり、
肥薩線が通っている場所まで行ったのだった。

当時、汽車の線路は私達にとって、とても珍しく、また憧れでもあった。
汽車が過ぎ去った後、線路に耳を付け「ゴトン、ゴトン」という音が聞こえなくなるまで、耳を当てているのだ。
3台目の汽車が過ぎたときにも同様に耳を当て、線路の音が聞こえなくなるまでいた。

ところが、周囲に異様な悪臭がするのである。
「一体何の臭いだ?」と、それぞれが顔を見合わすと、原因はすぐにわかった。
服の胸あたりが濡れているのだ。

当時の汽車は車内便所が垂れ流しにつくってあったので、
駅で停車中は便所を使用してはいけないようになっていた。
時間がゆっくり動いていた時代なので、
汽車も駅に長時間停車するので動き出すと、我先にと便所を使用しだすのである。

私達が遭遇した汽車が人吉駅を出て間もない時間は、小便をするのだが、
ちょうど程よい時間帯に陣取ったポイントは、乗客の一人が用を足した場所であった。

もうすでに想像がつくと思うが、それはとんでもない状態であった。
悪ガキたちは、這う這うの体で帰路を急いだ。


エコロジー建築家 矢上五郎八
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